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↓の補足です

 投稿者:より  投稿日:2012年 5月 3日(木)16時49分12秒
  「巧定まるの日」=功績を定めた日というのは、
“治承寿永の乱における各人の”功績を定めた日
という意味です。
 

左近介さん

 投稿者:より  投稿日:2012年 5月 3日(木)16時33分1秒
  げーりぃさんも、こんにちは(^^)

その漢詩は初めて見たのですが
「何人か為に説く旭将軍」は、もっと日本語に近い形で読むと
「何人か旭将軍の為に説く」になるのかな??
と推測してみたのですがどうでしょう?

・・・とすると、この漢詩は

火牛が突進するその勢いはまるで雷のようだ
再び田単の戦功を見る思いである
鎌倉幕府ができた当初、功績を定めた日
誰が旭将軍のために彼の功績を説いただろうか

という解釈ができるのではないでしょうか???自信はないのですが。
「か」は疑問または反語を表す係助詞ですので
旭将軍は素晴らしい戦功を上げたとはいえ、幕府においてそれを称える者はいるか?いないだろうなぁ、という寂しさ・むなしさ・口惜しさを表現した詩のように思います。…あくまで私の解釈です(汗)

源彩さん、大学ご入学おめでとうございます。
私も日本史専攻卒で、好きだという理由だけで研究テーマにできるわけではないんだな
と感じつつ結局好きだからという理由でテーマを決めてしまいました(笑)
これから4年、いやいや歴史は一生ものの趣味ですね、勉強楽しみましょう~!
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2012年 4月16日(月)13時08分12秒
  おひさです。(⌒-⌒)
へぇ、まだそのままクッキー残ってる。
でもまぁ・・・これでどうだ。
 

木曽義仲

 投稿者:左近介  投稿日:2012年 4月15日(日)22時09分22秒
  はじめまして

源彩さんの論文は、うまく纏められていて、とてもよくわかりました。ありがとうございました。

さて、畏堂外史という人の漢詩に、「木曽義仲」というのがありますが、後半の解釈がよくわからないので、どなたか教えてください。

 木曽義仲 畏堂外史
火牛奔突 勢い雷の如し
復(また)見る田単 一戦の勲
幕府当年 功定まるの日
何人(なんびと)か為に説く 旭将軍

「頼朝が幕府を立てた時、悪者にされていた義仲であるが、その活躍を称えてていた人もいた」という解釈でいいのでしょうか?
 

続き

 投稿者:源彩  投稿日:2012年 4月13日(金)23時32分19秒
  そのため、義仲の「源氏の棟梁」になるという目的は平氏を蹴散らし、京に入ったことで達成されたように思う。
 しかし真に勝つためには、政(まつりごと)や朝廷との折衡なども行わなければならなかった。それらに対し、武士としての義仲は興味がなかった。それゆえ、義仲は本来の武士である自分らしさと目標を見失い、勢いは失速する。さらに頼朝の作戦により、世間からの評判はひどいものとなっていく。
 頼朝軍によって都を追われ、死を覚悟した戦いの場に立ったことで、義仲の武士としての心の炎が再熱させられ、もう一度義仲らしさを取り戻すのだ。そしてこの時を信じていたからこそ、多くに家来たちは義仲に最後まで忠誠を尽くせたのだ。
 「源氏の棟梁」候補として生まれたのに、同じ源氏に裏切られ、木曽へ逃れ、平氏を倒すために京へ上がったのに、またもや源氏に追われてしまった義仲。巴御前とのエピソードなど魅力的な人柄と、豪快な戦法などが後世に伝わっている義仲。表裏がない単純さで時代を駆け抜けた風雲児。このような義仲に人々は「武士」のあるべき姿を見ていたのではないだろうか。義仲は良くも悪くも日本人が思い描く「武士」そのものなのだ。

以上です。
ありがとうございました。
参考文献はあちこちからいただいております。
ありがとうございました。
 

(無題)

 投稿者:源彩  投稿日:2012年 4月11日(水)00時07分21秒
  大学の入試に使った論文を載せます

 私は木曽義仲が好きだ。平家物語を読んで彼を知り、その人となりに心を奪われたのだが、日本史の教科書などでは大きくは扱われていない。だが、祖父母の時代にはヒーローをしてよく知られていたと聞くし、実際に歌舞伎や謡曲などでは英雄としてお使われている。それは何故なのか。そこで教科書でも大きく扱われている源頼朝と比較しながら述べていきたい。
 源頼朝は1147年、源義朝の子として生まれる。頼朝は三男坊であったが、兄二人の身分が低かったため、自分こそが父の跡取りだと考えていた。
 一方、木曽義仲は1154年、武蔵野国で源義朝の弟源の義賢のことして生まれる。頼朝とは7つ違いの従兄弟となる。
 ところが義仲の生まれた翌年の1155年、義仲の父義賢が討ち死にしてしまう。これは、義朝・義賢兄弟の父である源為義人の親子問題に端を発する。義朝・義賢兄弟は武勇の実力は同等だったようであるが、兄の義朝が根っからの坂東武者だったのに対し、弟の義賢には強風の気品が備わっていたといわれている。そのこともあってか、父は兄よりも弟をかわいがり、そのため家督を弟に継がせるのではと、義朝は危惧し、息子義平に銘じて義賢をだまし討ちにして殺すのである。
 父が殺害されて、赤ん坊の義仲は木曽の中原家のもとへ逃れることになる。そして、義仲は木曽の大自然と温かい愛情に包まれて心お体も強く鍛えられていくのである。
 一方、義賢を倒し、源為義跡取りとして「源氏の棟梁」となった義朝だが、1159年平治の乱で平氏に敗れ、討ち死にしてしまう。また頼朝もつかまり、伊豆へ幽閉されることとなる。そして以後約20年間北条氏、伊東氏の監視のもと自由のない日々を過ごすこととなる。
 平氏の世の中となり、源氏の棟梁候補の息子二人が歴史の表舞台から姿を消していた1180年、以仁王は全国に平氏討伐の令旨を出す。令旨を受け取った二人はそれぞれに挙兵の準備を行うが、先に挙兵したのは頼朝だった。頼朝は伊豆の豪族北条氏と手を組み、着々と準備を進めていたのだ。
 それは義仲も同様で、木曽で自分を育ててくれた中原氏らと準備は進めていただろう。しかし、先に挙兵したのは頼朝だった。このことが義仲にとって大きな意味を持つと思われる。つまり、平氏を倒すのが源氏の目的なら、平氏を倒したものこそが真に「源氏の棟梁」と言えるのではないか、ということである。
 義仲にとって父が卑怯はだまし討ちにあったため、義朝が「源氏の棟梁」の跡を継いだが、本来ならそれは父義賢が受けるもので、義賢が「原子の棟梁」なら、それを受け継ぐのは自分義仲なのである。だから頼朝が先に挙兵したのを知った時、たいそう悔しく思ったに違いない。そして頼朝に負けてはならないと挙兵するのである。
 それに引き換え、頼朝は「源氏の棟梁」とか武門の誉れといったものよりもっと先にあるものを見ていたように思われる。源氏や平氏といった武士集団のトップを目指していただけではなく、貴族や天皇と武士が対等なを係にある世の中を作ろうとしていたようである。だからこそ、血縁や、情に動かされず、客観的に物事を見ることのできる、冷徹な政治家となりえたのではないだろうか。
 結局義仲は頼朝軍にうたれ、義仲は敗れる。そして頼朝は武士の地位を向上させ、新しい時代を切り開いていく。
 以上、二人の生涯を見てきたが、さらに後世における二人の評価を見ていきたい。例えば、「女暫く」や「謡曲兼平」に代表されるように歌舞伎や謡曲の世界では頼朝たちはいつも悪役であり、義仲やその周りの人はヒーローとして描かれている。義仲たちの人気の理由はどこにあるのだろううか。
 義仲が挙兵したのは、源氏の武士として当然のことではあるが、単に土地や地位を求めるのではなく、父の名誉のためという思いが強くあったと思われる。


すみません
続きはまた今度書きます。
つかれた
 

(無題)

 投稿者:IWAI  投稿日:2012年 3月25日(日)21時56分25秒
  とっくに読了でしたが無沙汰でした
能登教経(のりつね)カッコよすぎです! ツワモノ二人を腋に挟み「己等死出の山の共せよ!」で海にザブンッ! 漢!
文覚も老いて猶不逞の輩っぷりが増していてステキです、・・・つっても超ガンコジジイみたいで直接かかわりたくは無いタイプと思いますたがw
『灌頂巻』はやはり独特の深み・趣が感じられますね・・・仏教の無常思想が前提され、全体に暗い絶望感漂うかの本書ですが、最後の最後は「皆往生の素懐を遂げるとぞ聞こえし」で要するにハッピーエンドなわけでした!

さて我らがヒーロー義仲ですが、本作者(達)は基本的に義仲を嫌ってたのでしょうね、少なくとも同情的ではなかった。・・・そう思わざるを得ない筆致ですし、また往時そう思われざるを得ぬ状況があったのでしょう・・・
ねこ殿のエピソードは大笑いしましたwww

取り敢えず感想でした。んではゲイリーさん皆さんまた!!
 

寒いですね!

 投稿者:gary  投稿日:2012年 2月19日(日)17時11分52秒
  今日は各地で雪が積もったのではないでしょうか。この温暖なうどんの国でも朝は雪景色でした。
相変わらずレスが遅くて本当に申し訳ないです・・・
でもこうして書き込んで頂けると、改めて私ももういちど義仲の勉強を始めようかなと思います。皆様の指摘して下さるところがうろ覚えだったりする時が悔しいので~~~!!(笑)

IWAIさま
信連も袖をぬらしていたタイプでしょうね。この世代の貴族の方は、ほんとに袖をぬらしてナンボの価値観だったのでしょうね・・・ドラマでもみんな袖をぬらしています(笑)
って、テレビはお持ちでないのですね!!
清盛や武士の皆様はあんまり袖をぬらしてませんね。でも平家物語も中盤を過ぎてくると、袖をぬらす武士の方々が出てきますね。平家物語は人間ドラマとしても面白いです!

源彩さま
合格おめでとうございます!!!
論文は、義仲で大丈夫でしたか??日本史の勉強、がんばってくださいませ!!!
私も・・・義仲や源平合戦の事をよく知りたいと思って、歴史をさかのぼって勉強し始めたのですが、結局古墳時代までさかのぼるハメになりました(爆)そして、やっぱり未だに義仲が死んだ後の事はよく知りません(爆)
 

ありがとうございます

 投稿者:源彩  投稿日:2012年 2月 4日(土)10時36分40秒
  アドバイスありがとうございます。
とある大学の文学部日本史学科の受験の論文のテーマを義仲様で書こうということでした。
無事合格し、はるからは大学で日本史の勉強をします。
ありがとうございました。
 

(無題)

 投稿者:IWAI  投稿日:2012年 1月29日(日)14時04分57秒
  『平家』読書、「廻文」に入り漸く我らが殿の登壇です。
んでも今まで読んだ限りでも、知らなかった魅力ある人たちが多数居て面白かったです。
意外に思われましょうが、足摺の俊寛にはとても「惹かれ」ます。絶対に直接には知り合いになりたく無いタイプですが、あのどう仕様も無い卑俗さ情け無さ、あれこそ人間の真実の一面を露骨に演じてると思われてなりませんでして・・・(笑?)
その他、信連(のぶつら)・文覚の豪胆さ不敵さには惚れ惚れしました。
それにしても登場人物みんなよく泣き(袖を濡らし)ますねえ、清盛公以外は・・・。
ちなみにTVは持ちませんでして、ドラマは見ず知らずです。
 

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